当たり前のような毎日ですが
当たり前なんてどこにもない。
今日を平和に過ごせることが
いかに恵まれているか
カンボジアの孤児に学びました。
当たり前に慣れてしまう怖さ
毎日同じような生活を繰り返すと
この日々がまるで「当たり前」で
ずっと続くかの如く感じてしまいます。
ご飯を作ってもらって当たり前
洗濯してもらって当たり前
相手がいてくれるのが当たり前
仕事があって当たり前
家族がいるのが当たり前
家があるのが当たり前
当たり前に慣れてしまうことは
実はとっても怖いこと。
あなたの当たり前は一瞬で
崩壊することがあるからです。
日本の当たり前
これまで海外にいくと
外国に暮らす人々のハングリーさや
価値観の違いを目の当たりにして
「日本は平和ボケしているのでは」
と感じることが多々ありました。
そこそこの生活水準を保ち
みんな仕事や役割がきちんとあり
清潔で時間に正確な真面目な国。
日本で「貧しい」といっても
外国の「貧しい」人たちからしたら
水道・電気・ガスが通る家を持ち
一人一台携帯を持って
ご飯にもありつけて
清潔な生活ができて
考えられない裕福な暮らしなのです。
生きるために一生懸命にならなくても
生きれてしまう国だな、と。
それは幸せなことでもありますが
別の角度から見ると
快適な暮らしが当たり前すぎて
それに慣れてしまうあまり
時間を浪費してしまうような
過ごし方をしてしまう
ということでもあるのかな、と。
カンボジア孤児院の当たり前
カンボジアの孤児院、屋外の広場にて。
お布団もエアコンもがなくて
猛暑の中、汗をかきながら床でお昼寝…
これがこの子達の「当たり前」。
とても寝苦しそうに汗をかいていました。
冷暖房で快適な湿度の中
ふわふわのお布団で眠れる日本人は
実はとても裕福で恵まれているのです。
時間は命
私がいつも思っていることは
時間は有限である、ということ。
無意識レベルでその感覚で生きています。
生きとし生けるものは全て
いつか必ず生命を終える時がやってきます。
地球上に生きるものは人も、動物も、植物も。
あなたにとって貴重な「今日」は
あなたの周囲の人にも尊い日なのです。
災害・事故・伝染病・異常気象…
いつ何がどうなっても
おかしくない時代になりました。
今日の当たり前は
突然ガラッと崩れるかもしれません。
今目の前で笑っている人が
明日もそこにいる保証はどこにもないのです。
今は「今」と言った瞬間に過去になる。
今日という日は二度と帰ってきません。
一日一日が有限で尊い時間であること
自分が生きていること
相手が生きていること
穏やかな日常を送れていること。
そんな「いま・ここ」に感謝をして
悔いのない選択をしていきたいものです。
ぼーっとしていると
あっという間に一年が終わります。
あなたの大事な「今日」と
尊すぎる「いま・ここ」の瞬間を
大切に生きていきましょう。