死ぬことは生き続けること

母の死から9ヶ月が経ちました。

人生で一番恐れていた“母の死”。
母は誰よりも大切で尊い存在でした。

病気が発覚する1、2年前くらいから
毎朝起きて母の顔を見ると
「よかった、今日も生きてる」と
安心していたから不思議です。
まるで母の寿命が近いと
魂が知っていたかのようです。

常に母が死んだら私は生きていけない、
自分はどうなるんだろう、という
漠然とした不安があり、且つ、
私は独身で子供もいないため
自分にとって一番大切な人は
母親だという認識でずっと過ごしていました。

そんな母が他界して半年以上が過ぎ
一番恐れていた一番大切な人の死について
思うことがあり今この記事を書いています。


大好きな母の笑顔

母は他界後、生前よりずっと近くにいます。
生きていたころよりもずっと
何故か近くに感じられるから不思議です。

母が闘病している頃、
母にマッサージをしたときがありました。
「痩せなーい」といつも悩んでいた母でしたが
抗がん剤は別で体重がどんどん減りました。
すっかり細く、小さくなった母の体を触りながら
「お母さん死なないでね。死んだらいやだ」
と呟いた時があったのですが、
「私が死んでもずっとあんたの中で生き続けるでしょ」
と、横たわった母から返事が返ってきました。

その時一気に涙が噴き出し、
溢れる涙を垂れ流しながら
マッサージしていたのを
じんわりと思い出します。

あの時の母の言葉は、
その時は理解し難ったのですが
今になるとよくわかります。

生前は喧嘩ばかりしていた母と私。
私は母が大好きでしたが
お互いの思いが交錯して
うまくいかない日々が続いていました。

母の他界後、母を思い出さない日はない程、
毎日毎日母を感じるのです。
私の中で母が生きているような感覚で、
生前は一度もそんな感覚になった事ないのに、
「生きてた頃よりも大事にしてるのでは?」と
思うほど母が毎日近くにいるのです。

生きていた頃は、感情も出るし
お互いにイライラしたりカチンときたり
そんな自分にショックだったり…
でも、母が亡き今、
母の笑顔、母の言葉、母の言動、母の仕草…
全てが尊く、やっと純粋に母と「共にいる」
…そんな感覚になれるような気がします。
(こんなことを言うと
母は怒ってるかもしれませんが)

生活の一瞬一瞬で母を思い出し、
自分がどうしようもなく弱っている時に
母が励ましてくれた一言が浮かび、
自分が自分を見失いそうになると
母の言葉が道標になります。

嬉しいことがあると、母に報告したくなり
悲しいことがあると、母に相談したくなり
綺麗な空を見ると、母の顔が空に浮かび
涙する日には、母が抱きしめてくれている…
そんな感覚で毎日を過ごしています。

「大事な人は死んでもずっと生き続ける」
それが私が最愛の母を亡くして感じたこと。

大切な人の死は、とても
言葉には表せない気持ちが溢れて
たまらなくなるのですが、
それよりも伝えたい想いは
思ってる以上にずっとずっと
一緒にいるから大丈夫だと言うこと。

母が他界してからというもの
自分自身目まぐるしい変化の最中ですが、
不思議と毎日その瞬間瞬間に
母と一緒にいるような気がして
母に確認作業をしながら新しい毎日を
過ごせているような気がしています。

本当に何故か言葉には出来ないのですが
母が共に側で生きているような感覚。
「他人は他人。景子は景子」
そういっている母が目に浮かびます。

生きていた時も、他界した今も
どうもありがとうぶーたん(母)
おかげさまで私は元気です。

最愛の人の死は
最高潮に恐れていたものよりも
ずっと前向きに捉えられます。

誰と、何をするか。
人生に悔いを残さないようにどう生きるか。

それだけでいいのかもしれないですね。
そんなこんなを深く感じる今日この頃です。

 

 

 

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