生きていると誰かに
裏切られたり傷つけられたり騙されたり
思いも寄らない角度から
ダメージを与えられることがあります。
その場合、関係性が濃かったり
心を許していた相手であるほど傷は深く、
胸がズタズタ、ボロボロになり
相手の振る舞いや相手そのものを
受け入れられることが出来なくなり
自分の中にネガティブな感情が溢れてしまう。
怒り、恨み、ショック、悲しさ。
ひどい時には強いトラウマになったり
人間不信や自己卑下などに陥り
自分を保つことができなくなるほど
心に強い影響を与えることがあります。
それほど激しい感情を感じた時
怒りや恨みで復讐や裁判などの仕返し等の
行動を形にしていく人もいます。
逆に何もすることなく相手に対して
ネガティブな思念を抱き続け
思念波(念のようなもの)を発して
相手に見えない攻撃をする場合も多いようです。
これは自分を守るための防衛反応なので
自分では気づかないことがあります。
その時はそれでいいとも思います。
にんげんだもの。
あなたを故意に悲しませた人を
許さなくてもいいと私は思います。
自分の感情を直視する
相手へ怒りや憎悪の感情が激しく湧き
自分をコントロールできない時は
感情が激しく動いており、その感情は
自分にとってすごーく大事なものです。
ネガティブな感情を抱くことが
悪いわけでは決してなくて、
その感情を感じることは
むしろ人間として健全であり
自分を守る安全装置のようなもの。
感情は目を逸らせば逸らすほど強化され
自分の中に残り続ける性質があります。
そのためネガティブな感情を
早く昇華させたい時は
感情を感じ切ることが大切です。
少々辛い時間になろうとも
自分の感情と共に居続けてみてください。
胸が痛く締め付けられたり
怒りが爆発したり
涙が止まらなくなったり
自分を責めたりと
色んなことが起きても
ただただ自分の感情によりそうだけ。
それだけで心は浄化されます。
俯瞰して見る
傷を負った自分を自分で癒したり
頑張った自分を褒めてあげたり
思いっきり自分を認めてあげた時に
恨みや復讐心は少しだけ和らぎ
自分そのものに目が向くようになり
その時はまだ相手を許せない人も
時間の経過と共にいつか
相手を赦せると思える瞬間が来ます。
時には相手を許せない状況だとしても。
許す…相手の願いや申し出を受け入れる。そうすることを認める
赦す…無条件で罪を犯した相手を罰しない
相手も一生懸命にやってくれた
その相手に委ねたのは自分の責任
私にも原因はある、お互い様だ…など
高い視座でその状況を
俯瞰できるようになったり、
もう少し高いレベルだと
・この出来事は何を教えてくれているのか
・自己成長のためわざわざ悪役をかってくれてる
・この人(出来事)から得たものに意識をむける
など、達観した考えに気づいた時、
あれほど頭にきていた相手を
真の意味で赦せるようになり
最終的に相手に意識が向かなくなります。
そしてそれを体得できた時、
あなたは一つレベルが上がる!
♪チャララ チャッチャラ〜♪
↑
(ドラクエのレベルアップの音)
仏教でもキリスト教でも「赦す」が
目指すところになるほどなので
そう簡単なことではないとは思いますが。。
赦せた時は成長した証
赦す=成長。
恨みや憎しみの波動で生き続けるより
まあいっか、過去のことだと
全て赦すことができた時、
そして更にその相手や出来事に
成長させてくれたことへの感謝を
感じられるようになった時、
魂はもっと輝いてキラキラと
ピュアなエネルギーを発します。
そしてその良い波動にピッタリの
出来事やご縁が訪れるはずです。
そしてあなたがどんな判断をしようが
相手にはきちんと因果応報で
自分が人に与えた同等の負がいつか
その相手や周囲に訪れるはずなのです。
必ずブーメランで戻ってくる。
自分で蒔いた種は自分で刈り取るのです。
相手を赦し、どんな自分も赦す。
心の器を少しだけ広げて
赦せる人になっていきたいですね。
<赦し>
第4チャクラ(愛・慈悲)
第7チャクラ(達観)